2009/07/15

2009年度 7月例会開催!

7月11日(土)、7月例会が開催されました。この日は特別に、2008年度の日本学士院賞を受賞された千葉大学の保坂高殿氏をお迎えし、「歴史と文学—教会中心史観を巡って—」と題する報告をいただきました。また、豊田浩志氏により「歴史学とドキュメンタリー:イエス一族の墓発見!?」と題した応援報告もなされ、盛り沢山の内容となりました。

まず豊田氏は、最近マスコミで話題になった原始キリスト教史関係の発掘情報を紹介し、その功罪について論じました。具体的には、
①2009年6月、サン・パオロ大聖堂の祭壇下石棺内からみつかった1〜2世紀の骨断片を、ベネディクト16世が聖パウロの遺骨と断言した件、およびそれに先立つ聖パウロの単独肖像画(4世紀後半)発見の報告。
②2007年3月、Discovery Channelによるイエス一族の墓発見というセンセーショナルな大キャンペーンの件。話題性重視のマスコミによる安直な情報操作を批判する一方、十字軍時代に遡る聖遺物贋造を意図した墳墓改装の可能性も指摘した。
③1953年にオリーブ山で出土した骨箱のアラム語「Shimon bar Jonah」にも言及。原始キリスト教関係者のエルサレム共同墓地の可能性が指摘されてきたが、ユダヤ人命名法には同一名が多いため、それを根拠とする安易な主張は問題であると訴えた。

保坂氏は、歴史叙述が一種の物語であることを肯定しつつ、文学との相違についても言及したうえで、従来の古代キリスト教迫害史研究が、極めて分かりやすい「歴史小説的な構図」を採ってきたことを批判します。
異教徒はキリスト教徒を憎むものであり、キリスト教徒も異教徒を忌み嫌うものという二項対立的な構図は、古代の史資料の語る現実とは大きく食い違う。それらは、多くのキリスト教徒が異教徒と共同の食事を楽しみ、共同で祭事を行う光景を伝えてくれる。外国文化全般に極めて寛容であった文化的後進国ローマに宗教戦争はなく、したがって教会の“勝利”もなかった。歴史はより多様であり、かつより多元的である。

いわゆる実証主義とは歴史学者の認識論的立場としてよく主張されるところですが、そのア・プリオリな思考にこそ大きな落とし穴が空いているのではないか。歴史学の魅力と危うさを痛感する時間となりました。

2009/06/30

2009年度 6月例会開催!

6月27日(土)、6月例会が開催されました。当日は複数の学会が重なり参加者は少数でしたが、2人のOBを迎えて活発な議論が行われました。報告は、富士見丘中学高等学校教諭の関根淳氏による「日本古代史料における『国家』―天皇・国家・公―」、丸山清志氏による「サモアの先史時代の時期区分について」でした。

関根氏の報告は、古代の日本において語られる「国家」の意味を、史料に即して検討したものである。石母田正以来の重厚な研究史のなかで、従来、この「国家」は天皇を意味するものと広く認識され、また公・公権力という意味は含有されないとの合意が形成されてきた。しかし、史料を子細に検討してみると、その意味内容はより多様であり、①国土、②朝廷、③天皇、④天皇家、⑤公・公権力、⑥故郷・本拠地、⑦国家(現代用語と同じ意味)などに大別されることが分かる。「国家」とは、時代の変遷や地域によって可変的な意味を持つ語句なのである。
研究史の詳細な検討と批判、逐次的な史料解釈など、歴史学研究の基本ともいうべき堅実な報告でした。質疑応答では、国家なるものをいかに捉えるか、分野を超えて広汎な議論が行われました。

丸山氏の報告は、考古学的に未解決となっている東ポリネシアへの人類の植民年代について、紀元後第1千年紀におけるサモアの文化様相の分析から、解答を与えようとしたものです。サモアの先史時代の画期は紀元後第1千年紀の前半で、遺物や遺跡の様態から、小氷河期の影響による海上交易の衰退、内陸経済への移行を確認できる。これらは植民後の東ポリネシアでも同時期に生じていることから、それ以前に定着していた植民期の海洋指向文化と内陸資源開発の時期を考えれば、東ポリネシアの各地域は紀元後第一千年期の前半から中葉に植民されたと推測される。
考古学的な専門知識の駆使された報告で、質疑応答は基本的な事項・概念の確認がほとんどでしたが、気候変動と文明との関係、古気候学の歴史学への援用の方法など、広い視野からの意見交換が行われました。

2009/05/20

2009年度 5月例会開催!

GWも明けて春学期も本格的に始動してきた5月16日、5月例会が開催されました。報告は、大学院博士後期課程の山手昌樹氏による「日常的実践としてのストライキ―民衆的非ファシズム論によせて―」、大学院OBでもある法政大学兼任講師、尾崎修治氏による「世紀転換期ドイツ・カトリック国民協会の労働者教育―ある「赤い」司祭の日記から―」です。

山手氏の報告は、ファシズム体制が国民の支持を得ていた「合意の時代」のイタリアにおいて、日常的に発生していたストライキや騒擾行動に注目します。従来、これらの集団行動は第2次大戦下の反ファシズム運動に発展したと考えられていたが、そうした見解の主要な典拠である共産党機関誌だけでなく、内務省公安本部文書などを併せて分析してゆくと、民衆が政治的無関心と現実主義をもって、非イデオロギー的に活動していたことがみえてくる。ファシズム時代以前の労働運動のなかで培われた行動様式としてのストが、非合法化後も民衆が実践しうる選択肢であり続け、農業経営者に対する抗議の意思表示として一定の効果を持ち、体制が救済事業を展開する契機となったという点こそ重視すべきであると結びました。
質疑応答では、山手氏の扱った地域社会の特性、構造や、煽動者のありようなどについて活発な意見交換がなされました。

尾崎氏の報告は、19世紀末〜20世紀初め、社会主義系の思想・活動に対するカトリック側の防波堤として組織された、国民協会の展開と末路を扱ったものです。同協会の本部はカトリックのなかでも社会派の聖職者によって占められ、小教区の司祭たちを末端の担い手に、労働者と有産者の融和を説いてゆく。しかし、労働者と積極的に関わってその利害を代弁し、支援する組織としての正確を強めていった協会は、カトリック保守派との間に少なからぬ軋轢を生じてしまう。協会は、特定の社会層への肩入れ、教会制度や司教権からの半独立的なありようが保守派に不信感を与え、カトリックの統一性を危地に陥れるものとして攻撃されることになるのである。
現行のカトリック教団の問題も含め、宗教と教団、教団と社会・政治の間に介在する難問をさまざまに考えさせる報告でした。

2009/05/17

2009年度 新入生歓迎学術講演会、開催!

4月18日、新入生歓迎の意味を込めて、昨年サバティカルで研究に専念されていた児嶋由枝氏により、「ロマネスク美術に見る「マギの礼拝」と神聖ローマ皇帝権」と題した講演が行われました。マギとは、イエスの生誕の際に星に導かれてベツ レヘムに至り、イエスに黄金、乳香、没薬、贈り物を捧げた三人の祭司、もしくは王、あるいは東方の博士のこと。講演では、彼らに対する崇敬が、12世紀にシュタンフェン朝の神聖ローマ皇帝権と結びついていく状況をたどるとともに、同時期の「マギの礼拝」図像の展開との関係について美術史学的立場から考察 を加えたものでした。神聖ローマの皇帝権と密接な関係にある3つの聖櫃(三王の聖櫃、聖母マリアの聖櫃、カール大帝の聖櫃)など、多くの貴重な図像がスライドで紹介され、新入生も興味深げに聞き入っていました。