7月11日(土)、7月例会が開催されました。この日は特別に、2008年度の日本学士院賞を受賞された千葉大学の保坂高殿氏をお迎えし、「歴史と文学—教会中心史観を巡って—」と題する報告をいただきました。また、豊田浩志氏により「歴史学とドキュメンタリー:イエス一族の墓発見!?」と題した応援報告もなされ、盛り沢山の内容となりました。
まず豊田氏は、最近マスコミで話題になった原始キリスト教史関係の発掘情報を紹介し、その功罪について論じました。具体的には、
①2009年6月、サン・パオロ大聖堂の祭壇下石棺内からみつかった1〜2世紀の骨断片を、ベネディクト16世が聖パウロの遺骨と断言した件、およびそれに先立つ聖パウロの単独肖像画(4世紀後半)発見の報告。
②2007年3月、Discovery Channelによるイエス一族の墓発見というセンセーショナルな大キャンペーンの件。話題性重視のマスコミによる安直な情報操作を批判する一方、十字軍時代に遡る聖遺物贋造を意図した墳墓改装の可能性も指摘した。
③1953年にオリーブ山で出土した骨箱のアラム語「Shimon bar Jonah」にも言及。原始キリスト教関係者のエルサレム共同墓地の可能性が指摘されてきたが、ユダヤ人命名法には同一名が多いため、それを根拠とする安易な主張は問題であると訴えた。
保坂氏は、歴史叙述が一種の物語であることを肯定しつつ、文学との相違についても言及したうえで、従来の古代キリスト教迫害史研究が、極めて分かりやすい「歴史小説的な構図」を採ってきたことを批判します。
異教徒はキリスト教徒を憎むものであり、キリスト教徒も異教徒を忌み嫌うものという二項対立的な構図は、古代の史資料の語る現実とは大きく食い違う。それらは、多くのキリスト教徒が異教徒と共同の食事を楽しみ、共同で祭事を行う光景を伝えてくれる。外国文化全般に極めて寛容であった文化的後進国ローマに宗教戦争はなく、したがって教会の“勝利”もなかった。歴史はより多様であり、かつより多元的である。
いわゆる実証主義とは歴史学者の認識論的立場としてよく主張されるところですが、そのア・プリオリな思考にこそ大きな落とし穴が空いているのではないか。歴史学の魅力と危うさを痛感する時間となりました。