7/14(土)、7月例会が開催されました。台風が近づいていたにもかかわらず、院生も学部生もある程度参加してくれたようです。
まずは露払い、私の報告で「礼拝威力、自然造仏—『三宝絵』下巻二十話にみる〈祟る樹霊〉の解脱—」。平安期の仏教説話集『三宝絵』をめぐる、成城大学民俗学研究所での共同研究から生まれた発表です。寺院縁起としてしか扱われてこなかった長谷観音の造立譚を、樹霊婚姻・神身離脱という別の言説形式から捉え直し、中国の古小説や仏典、朝鮮の野談などに先行モチーフを求めました。大澤先生や山内先生から質問・意見をいただき、「引く」という行為の儀礼性、中国江南地方と日本の宗教文化との関係、縁起にみえる五行的要素など、重要な問題を再確認することができました。
続いて本命、博士課程の中野純氏による「十七世紀前半の「外交文書」の変遷について」。これまで華夷秩序的な思想面、あるいは幕府による外交の独占という枠組みで語られてきた鎖国について、外交文書を検討しながら、利害調整を基調とする幕府組織の志向性によって、場当たり的な対処を積み重ねた結果であると新見解を提示しました。また家康は、自国より小さな国々に対しても対等貿易を保持し、拡大意識を持たなかったとか。史料を地道に読むことで研究史の思い込みを覆した好論でした。
なお、今回は自分の報告の準備で手一杯であったため、あろうことかスナップ撮影を忘れてしまいました。申し訳ありません。
2007/06/10
6月例会開催!
6/9(土)、トップバッターの豊田先生がなかなか現れないというハプニングはあったものの、6月例会が無事開催されました。
まずは、博士課程の吉野恭一郎氏による「青年保守派にとってのヴァイマル末期—同時代から見たタートクライス—」。同時代の社会へ "青年" 特有のルサンチマンを抱くタートクライスと、彼らの主張に対するフランクフルター・ツァイトゥングの批判を、歴史学的に落ち着きのよい説明、分かりやすい物語的位置づけを拒否しつつ分析。先生方からは厳しい批判も飛び出しましたが、若手研究者の心意気をみせた、可能性に満ちた報告でした。
続いては豊田先生による、「2006/7年度オスティア遺跡調査報告」。ローマのトイレがいかなる構造を持ち、人々がそこでいかに用を足していたのかという興味深い考察。お尻を拭く道具としての海綿、遺跡から新たに確認した2階トイレの痕跡などが紹介されました。また、この考察結果によって、『新約聖書』に描かれるイエスの最期の瞬間にも、新たな解釈が可能とか……。
会場には学部一年生の姿も。回覧された海綿体の実物に興味津々。果たして共用だったのか、それとも個人用だったのか…?
まずは、博士課程の吉野恭一郎氏による「青年保守派にとってのヴァイマル末期—同時代から見たタートクライス—」。同時代の社会へ "青年" 特有のルサンチマンを抱くタートクライスと、彼らの主張に対するフランクフルター・ツァイトゥングの批判を、歴史学的に落ち着きのよい説明、分かりやすい物語的位置づけを拒否しつつ分析。先生方からは厳しい批判も飛び出しましたが、若手研究者の心意気をみせた、可能性に満ちた報告でした。
続いては豊田先生による、「2006/7年度オスティア遺跡調査報告」。ローマのトイレがいかなる構造を持ち、人々がそこでいかに用を足していたのかという興味深い考察。お尻を拭く道具としての海綿、遺跡から新たに確認した2階トイレの痕跡などが紹介されました。また、この考察結果によって、『新約聖書』に描かれるイエスの最期の瞬間にも、新たな解釈が可能とか……。
会場には学部一年生の姿も。回覧された海綿体の実物に興味津々。果たして共用だったのか、それとも個人用だったのか…?
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