2014年6月21日(土)、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。報告は、上智大学大学院に所属しております堅田智子氏による「アレクサンダー・フォン・シーボルトの日本皇室観」、本学非常勤講師である大川裕子氏による「中国古代の地域と開発(水利と地域開発)――銭塘江流域を例に――」でした。
堅田氏は、「アレクサンダー・フォン・シーボルトの日本皇室観」と題し、報告を行った。アレクサンダー・フォン・シーボルトは、いわゆる御雇外国人であり、明治政府外交官として活動した。氏は、シーボルトが1895年にドイツ語圏読者向けの雑誌上に発表した論文「日本の皇室の過去と現在」( “Der
kaiserliche Hof von Japan einst und jetzt.” )の分析から、シーボルトがどのような日本皇室観を持っていたのか、それをどのように表しヨーロッパに発信したのかを明らかにしようと試みた。
シーボルトのこの論文は、いち早く日本の皇室をヨーロッパに紹介した点で史料的価値が高く、その内容は、歴史や国民との関係など天皇・皇室について幅広くかつ詳細に書かれたものであった。例えば、皇室の起源を古事記、日本書紀を史料に説明し、日本国民にとり天皇は人間的特性が与えられた「神」と説明し、キリスト教的神との差別化を図った。また、シーボルトは、大政奉還以降の天皇をKaiserとドイツ帝国皇帝を想起させる語で表し、皇室改革の成果や、質素倹約で勤勉、また国内政策に尽力する天皇と皇后像からドイツの影響を多分に強調した。
以上の分析を通じ、氏はこの論文から「実証主義的姿勢を貫いた、広報官としてのシーボルト」像、ドイツ人であり明治政府外交官でもある「外部、内部の二面性を有すシーボルト」像を見出し、論文執筆には、他の著作や外交姿勢と同様に、「ヨーロッパ世論を親日的に『操縦』する必要性」があったと結論した。
本報告は、日本史と西洋史、古代史と近代史と多岐にわたる内容であったため、国家神道的天皇以外の捉え方との関連性についての指摘や、神聖ローマ帝国皇帝はむしろ「神の代理人」とみなされていた事実との整合性をどのようにシーボルトは解釈したかなど、様々な研究分野からの質疑が多くなされた。
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大川氏の報告では古代中国の江南地方の水利と開発について述べられた。氏は地図を用いながら、文献史料には表れづらい銭塘江周辺の地理的条件を説明し、その時代ごとの海岸線や水利技術などを吟味した上で、後漢から北宋まで銭塘江周辺に存在した巨大な湖である鑑湖に焦点を置いて論を展開した。
これまで想定されてきた鑑湖の姿というのは主に宋代の史料によって復元されたものであるが、大川氏は後漢時代の鑑湖の姿は北宋の記述からは復元できないと主張し、後漢時代の鑑湖を再検証する必要性を説いた。そこで巨大湖が形成されるまでの水利発展段階を示して検証を進め、漢代ではその最初の段階にあたる連続海塘が作られた事例がほとんど見られないことを指摘した。また、技術的にも開発限界に達していたことなども挙げて、後漢時代の巨大鑑湖建設というのは後世の仮託であると結論づけて、新たに後漢時代の紹興平野図復元案を提示した。
このような鑑湖の例を踏まえて、古代中国での水利事業の実態はより慎重に見極める必要があるとした。加えて、江南地域の中でも先進的な水利技術による農業と、いわゆる「火耕水耨」と呼ばれるような未発達な農業が混在していたことなどを挙げ、自然条件等を含めた、より詳細な地域格差の分析も重要になってくるという今後の研究の指針を定めた。
質疑応答では水利事業を考えるうえで、技術・開発という側面だけでなく地域内での利害や政治的意図などからも考えていく必要があるのではないかという指摘があり、本研究の多方向性が示された。また、海水の逆流現象に関して『続高僧伝』等にも僧侶の話と絡めて伝承が存在するという指摘があり、信仰との関係についても深い議論がなされた。
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