質疑応答では、実際の異端審問に関与したのはどの教団であったのかという質問や、同化していた人々を排除することにどのような意味があるのかといった様々な質問がなされた。報告者からはそれぞれについて、アウト・ダ・フェでは主な教団としてドミニコ会が関与していたことや、異端審問制には異端を同化させる目的だけでなく財産没収の側面もあったなどといった回答がなされた。
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磯見氏はまず、ベルギーに出会うまでの道のりを語った。名古屋の幼年学校を経て、上智大学の史学科へ入学した磯見氏は、方向性に迷いながらも当初はキリシタン史に積極的に取り組んだと言う。最終的には、その語学力を活かして、本格的にフランス史の世界へと移ることになる。それから教員として上智大学に戻ったのち、留学先に関し神父たちから強い薦めを受け、磯見氏はベルギーに渡ることとなった。
次に、留学先ベルギーのルーヴァン・カトリック大学での思い出が語られた。ここで磯見氏は恩師エミール・ルース氏に出会う。ルース氏は磯見氏に多大な学問上の影響を与えることとなった。この学恩の一例として、三十年戦争勃発時の神聖ローマ皇帝であったマティアス(在位1612~19)の研究へ導かれたことが挙げられた。またかつてルース氏が会長を務めていた議会制度史学会との長きにわたる関わりについても、磯見氏は恩師の記憶とともに感慨深げに回想した。磯見氏のベルギーとの関係はこの後、戦前に長く駐日ベルギー大使を務めたバッソンピエールの手記の翻訳や、共著『日本・ベルギー関係史』の出版など、多様なかたちで結実することとなる。
またさらに史学科の卒業生との交流を現在でも大切にしていることも強調された。来場していたOG・OBの方々からも磯見氏の思い出が挙げられ、50歳を過ぎてから始めた劇団「くるま座」の演劇活動、また再建と発展に貢献した大学サッカー部に関する当時の事情も語られた。ほぼ30名にも及ぶ来場者たちはこうした貴重な回顧に終始耳を傾けた。上智大学史学会創立65周年の節目にあたり、その足跡を振り返る企画における最初の講演としてもたいへん意義深いものとなった。
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