2013/11/25

上智大学史学会第63回大会


20131117日(日)上智大学7号館文学部共用室において、上智大学史学会第63回大会が行われました。大会は以下の要領で開催されました。このブログでは、各部会研究発表の模様および、上智大学教授青山英夫氏、大分大学名誉教授大嶋誠氏による公開講演の要旨を掲載させて頂きます。

 
第一部会(日本史):共用室A

・岡耕史 氏(上智大学大学院)
「複合化する論理と思想
     ―支配システムと肉食タブーの関係性について―」

・堀内豪人 氏(上智大学大学院)
「文字表記に見る感覚の変容
     ―古代日本嗅覚表記を中心に―」


・浅野友輔 氏(上智大学大学院)
「永禄年間雲芸和平における尼子氏内部の混乱
          ―石見福屋氏の処遇を巡って―」
 

 
第二部会(東洋史):共用室D

・松浦晶子 氏(上智大学大学院)
「大晟楽の再検討」

劉珊珊 氏(上智大学大学院)
「清末新政時期における新式学校の教育負担」

今泉牧子 氏(上智大学非常勤講師)
「宋代地方官配置の地域差について―知州レベルの検討―」





第三部会(西洋史):共用室C

・阿南麻衣 氏(上智大学大学院)
「『イエス・キリストの生涯についての黙想』イタリア写本115
        ―《エジプト逃避上の休憩》との関連性を中心に―」

任海守衛 氏(上智大学大学院)
「古代ローマ軍の食肉供給」

稲生俊輔 氏(上智大学大学院)
「世紀転換期ドイツにおける全ドイツ連盟の活動について」


伊藤正 氏(鹿児島大学教授)
「古代ギリシャの農業―テラス栽培について―」

 



14時から公開講演が行われました。講演は、上智大学教授青山英夫氏による「室町将軍足利義教とその時代」と、大分大学名誉教授大嶋誠氏「中世ヨーロッパ大学史研究の展開と展望」でした。

  
青山氏の講演「室町将軍足利義教とその時代」では、室町幕府開幕以降の幕政の展開を鑑みつつ、永享期14291441における第6代将軍足利義教の施策に焦点を当て、その政治史上の位置づけを解明することが主題となった。青山氏は特に室町幕政の基幹となった、将軍と管領ら有力守護との関係に着目された。
 先ず青山氏は、永享期における幕府の政策決定過程の変質の解明することで、将軍と有力守護の関係の変化を示し、次いで将軍の権限の増幅と幕政における守護の掌握に加え、有力守護家の相続問題においても義教は発言力を増大させ、守護の権勢を抑えたことを示した。  
 それを踏まえ、永享期の意義は、将軍義教が有力守護を抑制し将軍専制体制を築くとともに、将軍のもとに守護勢力を結集させる体制を生み出したことにあるとした。加えて青山氏は、この永享期の守護への施策が後年の室町幕府の凋落、戦国時代への移行につながっていくとも位置づけた。義教が嘉吉の変で横死した後、義教期に失権した有力守護家の成員らは、権力回復を試みて各地で紛争を起こし、8代将軍義政期に至って将軍による統制が利かない状態にまで悪化する。青山氏は、このような後年における秩序の混乱を鑑み、義教期の施策を一因とする各国の紛争の拡大により、応仁・文明の乱を経て、明応、永正両政変が発生した1500年前後を境に戦国時代が展開するとされ、講演を締めくくられた。青山氏の講演は、室町幕府開幕から永享期を経て、戦国時代に至るまでの連続面を見据え、室町時代政治史を把握するという重要なものであった。
 講演会場には史学専攻の院生、修了生の他、青山氏のゼミに所属する学生が集まり、講演終了後には、学生が青山氏に感謝の言葉を添えてプレゼントを手渡す場面がみられた。

          










 




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大嶋氏の講演では、中世ヨーロッパ大学史研究に関する研究史と、氏が専門としているパリ大学の成立論についての変遷やその新たな展開について取り上げられた。

中世ヨーロッパ大学史研究については、19世紀末に始まったHistorie interneと呼ばれる制度史研究から、Historie externeと呼ばれる社会史的な研究への変遷を述べるとともに、その歴史的意義について考察を加えた。とりわけこのような研究が与えたインパクトとして、中世末期に設立された大学への関心の高まりや、制度から人間への関心の移行といった点に言及した。

パリ大学成立論に関しては、最初に「universitasと認められる成立要件をいつ満たしたか」という問題意識を提示し、DeniflePostらの学説をもとに、従来の制度史的な成立論である、パリ司教権力との抗争の結果としての大学成立という見方を紹介した。しかしそれに代わる視点として、教会権力の関係についての見直しや教皇権の関与などを指摘し、教会権力との協同によるパリ大学成立論について述べた。また成立論と関わる新たな考察視点として、成立運動の具体的な主導者や教師のアイデンティティ、王権との関係などについても言及した。

最後に21世紀の大学史研究として、地方のモンペリエやヴァランスなどの個別の大学史研究や、学問の内容と社会との関連に着目した研究の可能性に言及し、講演は締めくくられた。



2013/11/04

2013年度10月例会開催

 20131026()、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。報告は、本学大学院に所属しております藤澤綾乃氏による「ローマ帝政期のユダヤ的複合建造物港湾都市オスティアを事例に」、並びに京都造形芸術大学で非常勤講師をされております渡辺滋氏による「平安中期における地域有力者の存在形態河内国における源訪を事例として」でした。

 

藤澤氏の報告では、ローマ近郊の港湾都市オスティアにおけるユダヤ的複合建造物を取り上げ、当該建造物を巡る建築学的論争とその問題点、更に報告者による新知見が加えられた。まず、内容への関心を深めるため、オスティアの歴史的変遷を再確認した。オスティアの起源は伝説によれば前7世紀であり、トラヤヌス帝期に商業都市として最盛期を迎えたと考えられているが、隣港ポルトゥス付近の都市発展の影響で5世紀以降徐々に退廃していった。当該建造物は1961年にオスティア市壁外で発見され、当時は地中海世界最古のシナゴーグすなわち1世紀の遺構として注目を集めた。しかし、発掘者Floriani Squarciapino Mariaによる最終報告書が提出されていないことから、以後の研究は困難を極めているという。報告者は、その後の研究者らの間で論説が二極化していることを踏まえ、その代表としてRunesson AndersWhite L. Michaelの説を取り上げた。前者は概ね発掘者の主張に賛同し、考古資料を基に建造物の初期形態を1世紀と捉え、且つシナゴーグであると認識している。対する後者はその根拠の不明瞭さを指摘し、初期は私的建造物として利用され、2世紀よりシナゴーグとして機能したと主張している。報告者はこれら論説の詳細を再検討し、いずれも確実な論証とはならないことを指摘した。実際、現存遺構においてユダヤ的要素を抽出できるのは4世紀以降であり、その時代の煉瓦層からは、トーラーを収めるエディコラやそれに付随するアーキトレーヴに刻まれたメノラー等のモチーフが確認できる。報告者は、当該建造物がシナゴーグとして機能したことの証を4世紀以降と定め、これまでの研究に対して異論を述べた。
 質疑応答では、当該建造物に関する追究の限界性を認識した上で、地中海世界における他シナゴーグとの比較や、オスティアにおけるキリスト教興隆との関連性など、比較研究への発展が求められた。また、4世紀以降シナゴーグとして機能したとすればそれ以前は何なのか、報告者自身の仮説が必要だという指摘もあり、熱く議論が交わされた。


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渡辺氏の発表では、国司制度をめぐる研究動向を踏まえ、古代的秩序の崩壊現象を性急に見出そうとする姿勢に疑問を呈し、実務を行う別の国司の存在によって地方の秩序が守られていくに至った社会状況が分析された。第1節では『平安遺文』三七二「長徳三年(997)六月十一日美努兼倫解」の史料から、源訪の社会的地位を持つ側面を読み取り、また第2節でも『揚名介事計歴事勘文』「長徳三年(997)法家問答」の史料から、源訪の社会的立場をより追求した。続く第3節では『小右記』長和四年(1015)四月五日条及び『長兼蝉魚抄』から、牧を巡る貴族同士の対立構造を炙り出し、同時に源訪の持つ社会的後ろ盾の所以を三条天皇に求められる可能性を示唆した。第4節では除目に纏わる複数の史料から、経済的動機と給主側の配慮という推薦の二形態の存在を導き出した。これらを踏まえ、「揚名国司」の存在は、称号を創出した秩序の中心的存在たる天皇との社会的・心理的距離を演出する装置と結論づけられた。
質疑応答では、中国大陸における地方長官の任命の様態と、この事例との差異が指摘され、「本貫地回避」という出身地への赴任を避ける制度が存在していたことも紹介された。そして環境史の観点からは、当時の畿内地域の牧および物流経済交通へと議論を発展させるべきだと指摘された。さらに、「揚名国司」と実態としての国司との併存状況下での、実権の存在位置に対する質問が出たが、報告者からは実権の分離が進んでいた状況の解説がされた。