2013年11月17日(日)上智大学7号館文学部共用室において、上智大学史学会第63回大会が行われました。大会は以下の要領で開催されました。このブログでは、各部会研究発表の模様および、上智大学教授青山英夫氏、大分大学名誉教授大嶋誠氏による公開講演の要旨を掲載させて頂きます。
・岡耕史 氏(上智大学大学院)
「複合化する論理と思想
―支配システムと肉食タブーの関係性について―」
・堀内豪人 氏(上智大学大学院)
「文字表記に見る感覚の変容
―古代日本嗅覚表記を中心に―」
・浅野友輔 氏(上智大学大学院)
「永禄年間雲芸和平における尼子氏内部の混乱
―石見福屋氏の処遇を巡って―」
第二部会(東洋史):共用室D
・松浦晶子 氏(上智大学大学院)
「大晟楽の再検討」
・劉珊珊 氏(上智大学大学院)
「清末新政時期における新式学校の教育負担」
・今泉牧子 氏(上智大学非常勤講師)
「宋代地方官配置の地域差について―知州レベルの検討―」
第三部会(西洋史):共用室C
・阿南麻衣 氏(上智大学大学院)
「『イエス・キリストの生涯についての黙想』イタリア写本115番―《エジプト逃避上の休憩》との関連性を中心に―」
・任海守衛 氏(上智大学大学院)
「古代ローマ軍の食肉供給」
・稲生俊輔 氏(上智大学大学院)
「世紀転換期ドイツにおける全ドイツ連盟の活動について」
・伊藤正 氏(鹿児島大学教授)
「古代ギリシャの農業―テラス栽培について―」
14時から公開講演が行われました。講演は、上智大学教授青山英夫氏による「室町将軍足利義教とその時代」と、大分大学名誉教授大嶋誠氏「中世ヨーロッパ大学史研究の展開と展望」でした。
青山氏の講演「室町将軍足利義教とその時代」では、室町幕府開幕以降の幕政の展開を鑑みつつ、永享期(1429‐1441)における第6代将軍足利義教の施策に焦点を当て、その政治史上の位置づけを解明することが主題となった。青山氏は特に室町幕政の基幹となった、将軍と管領ら有力守護との関係に着目された。
先ず青山氏は、永享期における幕府の政策決定過程の変質の解明することで、将軍と有力守護の関係の変化を示し、次いで将軍の権限の増幅と幕政における守護の掌握に加え、有力守護家の相続問題においても義教は発言力を増大させ、守護の権勢を抑えたことを示した。
それを踏まえ、永享期の意義は、将軍義教が有力守護を抑制し将軍専制体制を築くとともに、将軍のもとに守護勢力を結集させる体制を生み出したことにあるとした。加えて青山氏は、この永享期の守護への施策が後年の室町幕府の凋落、戦国時代への移行につながっていくとも位置づけた。義教が嘉吉の変で横死した後、義教期に失権した有力守護家の成員らは、権力回復を試みて各地で紛争を起こし、8代将軍義政期に至って将軍による統制が利かない状態にまで悪化する。青山氏は、このような後年における秩序の混乱を鑑み、義教期の施策を一因とする各国の紛争の拡大により、応仁・文明の乱を経て、明応、永正両政変が発生した1500年前後を境に戦国時代が展開するとされ、講演を締めくくられた。青山氏の講演は、室町幕府開幕から永享期を経て、戦国時代に至るまでの連続面を見据え、室町時代政治史を把握するという重要なものであった。
講演会場には史学専攻の院生、修了生の他、青山氏のゼミに所属する学生が集まり、講演終了後には、学生が青山氏に感謝の言葉を添えてプレゼントを手渡す場面がみられた。
それを踏まえ、永享期の意義は、将軍義教が有力守護を抑制し将軍専制体制を築くとともに、将軍のもとに守護勢力を結集させる体制を生み出したことにあるとした。加えて青山氏は、この永享期の守護への施策が後年の室町幕府の凋落、戦国時代への移行につながっていくとも位置づけた。義教が嘉吉の変で横死した後、義教期に失権した有力守護家の成員らは、権力回復を試みて各地で紛争を起こし、8代将軍義政期に至って将軍による統制が利かない状態にまで悪化する。青山氏は、このような後年における秩序の混乱を鑑み、義教期の施策を一因とする各国の紛争の拡大により、応仁・文明の乱を経て、明応、永正両政変が発生した1500年前後を境に戦国時代が展開するとされ、講演を締めくくられた。青山氏の講演は、室町幕府開幕から永享期を経て、戦国時代に至るまでの連続面を見据え、室町時代政治史を把握するという重要なものであった。
講演会場には史学専攻の院生、修了生の他、青山氏のゼミに所属する学生が集まり、講演終了後には、学生が青山氏に感謝の言葉を添えてプレゼントを手渡す場面がみられた。
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大嶋氏の講演では、中世ヨーロッパ大学史研究に関する研究史と、氏が専門としているパリ大学の成立論についての変遷やその新たな展開について取り上げられた。
中世ヨーロッパ大学史研究については、19世紀末に始まったHistorie interneと呼ばれる制度史研究から、Historie externeと呼ばれる社会史的な研究への変遷を述べるとともに、その歴史的意義について考察を加えた。とりわけこのような研究が与えたインパクトとして、中世末期に設立された大学への関心の高まりや、制度から人間への関心の移行といった点に言及した。
パリ大学成立論に関しては、最初に「universitasと認められる成立要件をいつ満たしたか」という問題意識を提示し、DenifleやPostらの学説をもとに、従来の制度史的な成立論である、パリ司教権力との抗争の結果としての大学成立という見方を紹介した。しかしそれに代わる視点として、教会権力の関係についての見直しや教皇権の関与などを指摘し、教会権力との協同によるパリ大学成立論について述べた。また成立論と関わる新たな考察視点として、成立運動の具体的な主導者や教師のアイデンティティ、王権との関係などについても言及した。
最後に21世紀の大学史研究として、地方のモンペリエやヴァランスなどの個別の大学史研究や、学問の内容と社会との関連に着目した研究の可能性に言及し、講演は締めくくられた。
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