2012/11/07

上智大学史学会・院生会合同10月例会

2012年10月27日(土)、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。報告は、上智史学会会員であります浅野真知氏による「中華民国初期の官庁の文書管理規則-近代日本との比較を中心として-」、並びに、本学大学院に所属する堅田智子氏による「アレクサンダー・フォン・シーボルトと黄禍論」でした。

 浅野氏の報告は、昨年の上智史学会第61回大会・東洋史部会で行われた同氏の報告(「中華民国初期の文書制度-官庁の文件保存規則を中心として-」)をもとに、当日フロアより出された意見などを反映して新たな内容を加え、再検討を行ったものである。前回に引き続き、中華民国政府の公文書管理規則のうち現存している北洋政府の司法部・外交部・教育部の規則を主材料とし、民国政府のおかれた政治的・社会的状況の違いを発見することを主眼としている。今回は日本の明治政府における同種の規則と比較を行い共通点・相違点を見ることで、民国政府の規則の特性を見出すという試みがなされた。 
                                       

 民国政府の文書管理規則に係る史料が既に提示された三部署のもの以外にほとんど無いといった問題に加え、日本側の文書管理規則についても内閣制度成立以後については研究が進んでおらず、今後どのような研究手法が考えられるかといった部分も含めフロアより活発な意見交換がなされた。
 


 比較的史料の充実している日本側では、規則が制定された時期ごとに資料の整理や保管・閲覧など各手順の何処に比重を置くかの違いが現れているとのことであり、今後はまず日本側の規則を詳細に見ることで、民国側の制度を研究する足がかりとしたいとのことであった。

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 堅田氏は、19世紀末に明治政府外交官として活躍したアレクサンダー・フォン・シーボルト(Alexander von Siebold, 1846-1911)を中心とした、日独外交史を専門としている。本報告では、彼が対峙せねばならなかった黄禍論に対し、言論を通じ、どのように反駁しようとしたのか、また、そこから垣間見えるシーボルトの日本意識について、著作を手がかりに分析・解明がなされた。

 黄禍論(die gelbe Gefahr〔独〕、the yellow peril〔英〕)とは、白色人種が一方的に黄色人種に対し恐怖をいだき、勝手に黄禍の波が押し寄せているとした白色人種による妄想であり、欧米において1870年代から第一次世界大戦までの帝国主義時代に誕生、発展した政治的スローガンである。

 

 こうした先行研究をふまえ、氏は、シーボルトが19041905年にドイツで発表した黄禍論をテーマとする三論文を分析した。シーボルトは、黄禍を恐れる白色人種が自ら黄禍を生み出す、黄禍論の悪循環を批判するとともに、「日本に限って」黄禍論は存在しないと一貫して主張し続け、黄禍論が激しく展開されたドイツにおいて、ドイツ国民を「啓蒙」する意味があったと指摘した。また、中国、韓国との差別化を図り、白色人種から西欧的一等国として認められないのであれば、日本が黄色人種の中で最上位に位置したいという、明治の元勲と共通した「強烈なナショナル・プライド」、「強烈なナショナル・アイデンティティ」を有していたと、氏は結論づけた。また、同時代人であり、ドイツ留学経験のある森鷗外(1862-1922)の黄禍論に関する著作を比較対象とし、両者には、①人種ヒエラルキーの「肯定」、②日本、日本人の優位性を強調し、他の黄色人種と差別化、③結果として、日本の軍事行動を肯定、という三点において共通性が見いだせると指摘した。一方で、差別で差別を是正しようとする姿勢や、シーボルトの「日本人」的ナショナル・アイデンティティを一般化することの問題性も加味せねばならないとした。

 

 質疑応答では、御雇外国人であったシーボルトの日本意識を「稀有」とすべきか、憧憬と嫌悪というオリエンタリズムの両義性をどのようにシーボルトは捉えたのか、キリスト教国家がなぜ黄禍を主張し、差別を「創造」したのかについて説明が求められた。また、歴史家と研究対象(事象、個人)との距離をどのように設定すべきかとの歴史学全体の課題についても触れられ、氏だけでなく参加者にとっても、有意義な機会となった。