2014/05/12

2014年度前期院生総会・卒業論文発表会


2014年度前期院生総会ならびに卒業論文発表会が420日に開催されました。新たに院生会へ加入した6名の新入生による熱のこもった発表が行われましたので、以下、発表者氏名と所属ゼミ、並びに卒論の題目と報告内容を紹介いたします。



○桒原真由美(児嶋ゼミ)

「モデナ大聖堂外壁の図像プログラム」

   本報告は、十二世紀前半に建設されたモデナ大聖堂ファサード中央ポータルの図像プログラムにおいて、古代起源のイメージが果たしていた役割について考察したものである。報告では、古代起源のイメージが旧約聖書や新約聖書の文脈の中で再構成されたものであることを説明し、彫像や絵画の影響力を増幅するために行われてきた中世の慣行や、自治都市の形成期といった社会的な背景との関連性から、古代起源のイメージの役割について論じた。反省点として、古代起源の図像のソースや制作当時における解釈について掘り下げることができなかったことを挙げ、今後は十二世紀の北イタリアにおける古代芸術の受容について研究していきたいと述べた。
 質疑応答では、聖堂全体の図像プログラムについても論じた方が良いといった指摘があった。また、地図や図表を用いて地理的な位置づけや聖堂全体の構成を示す必要があること、先行研究と自身の見解を整理して記述すべきであること、報告の構成が分かりやすいよう章立てや体裁の工夫が必要であること、参考文献の記載方法に誤りがあることについて指導があった。


○厳琳(大澤ゼミ)

「『太平廣記』と『夷堅志』に見られる神仙、神、鬼」 


 厳琳氏の卒業論文のテーマは「『太平廣記』と『夷堅志』に見られる神仙、神、鬼」である。『太平廣記』と『夷堅志』 に見られる神仙、神、鬼それぞれに注目し、その相違点を比べつつ、時代ごとの三者のあり方の変化を分析した。結果として、まず神仙の類型には大きな変化がなかったが、神仙に対する認識が変化した。次に神について、最も変化があったのは冥界の神と民間の神であった。しかし、鬼の変化は少なかった。時代の変遷に従って、仏教と道教が発展と融合を続けたことや、社会経済が発展し、社会道徳基準が変化していったこと、またそもそもの話の出所の違いが、この変化が起こった原因と言える。
 質疑応答での意見を受け、反省すべき点は以下の三つある。今回の検討で述べた細かい数値は概算したため、誤差が存在している。また、『太平廣記』と『夷堅志』における神仙、神、鬼の話を検討したが、まだ触れていない細かな部分があるため、疑問を多く残している。そして、『太平廣記』と『夷堅志』に限らず、唐代以前の神仙、神、鬼にも注目し、唐代までの連続性も検討すべきである。今後の方向として、宋代までの死後世界の神に絞り、そのあり方を検討していきたい。


○宮原愛佳(井上ゼミ)

「プロイセン三月前期における大衆貧困状況(パウペリスムス)」

 宮原氏は、三月革命前期にプロイセンで発生した「大衆貧困状況(パウペリスムス)」についての発表を行った。「パウペリスムス」とは、十九世紀前半に発生した、それ以前とは異なると考えられた貧困のことである。しかし、これは十八世紀以前の貧困との連続性が強く見出される現象であった。
 当時、人々は「パウペリスムス」や「プロレタリア」を深刻な問題と見なした。発表では、まず統計や著作などから当時の貧困状況を紹介し、それを引き起こした下層人口は「パウペリスムス」発生以前にどのように存在していたか、マルサスの人口論を用いながら、都市手工業・農村・農村家内工業別に考察した。その結果、人口数が保たれるように社会制度が働いていた一方で、興隆した農村家内工業が人口増加を促し、十八世紀末には既に「パウペリスムス」の前提を形成していたと説明した。そして、十九世紀前半のプロイセン改革による様々な自由化を通じて、各地域・職業分野における社会構造が変化し、下層民の増加に拍車をかけたと結論づけた。
 質疑応答では、より詳細な説明を求めて下層民の定義に関して質問があがった。その他には、修士論文のテーマにと考えている同時代人の企業家に対して、方法・史料に関する質問が集中した。また、その人物を扱う意義を考えるべきである、との意見が出された。このような意見は、これから研究を始める新入生にとって主題を見つめ直す機会となったことだろう。



○ジョ・チョウ(山内ゼミ)

「新選組の人気について」

 ジョ氏は、江戸時代末期、旧幕府軍の一員として幕府のために最後まで戦った新選組という組織に対し、長い間、新政府軍に敗れた新選組は、賊軍や幕府の犬などの悪役とされて、彼らに関しての作品も非常に少なかったことを指摘したうえで、近年、新選組の人気が上がり、彼らを主題としての作品も次々と出てきており、なぜ現代の人々は新選組に共感して、新選組ブームを起こしたのかということを分析した。発表では、新選組の隊士たち自身の魅力と、司馬遼太郎の新選組についての作品の影響、この二つの面から人気の原因を考察した。まず、新選組の主な隊士を紹介し、彼らの多くは若い年で亡くなっており、人気の原因は政治信条ではなく、ひたむきな姿であるという説を紹介した。つづいて、司馬遼太郎の新選組に関する作品と、新選組の人気との関係を考察し、司馬が事実に基づき新選組の人物を美化し、小説の中で構築した新選組像が、多くの人々を魅了したとした。司馬遼太郎の作品をきかっけに、人々が新選組に興味をもつようになり、新選組の隊士のことをもう一度読み上げることで、彼らが日本を変えようとする信念をもち、最後まで幕府のために戦った姿に共感したことが、人々を魅了した原因ではないかと分析した。
 質疑応答では、発表者の用いた史料や、「司馬史観」といわれる司馬遼太郎の歴史観についても議論され、今後の研究において、留学生である発表者が「日本にいること」を最大限生かしていくことが望まれた。


○中村航太郎(北條ゼミ)

「陰陽道という選択へ――卜筮を信ずべき朝議を中心に――」

 中村氏は『続日本後紀』嵯峨上皇遺詔記事を中心史料とし、承和九年(八四二)七月丁未条の遺詔における「無信卜筮、無拘俗事」表記、及び承和一一年(八四四)八月乙酉条にて、藤原良房ら臣下により「卜筮所告、不可不信」とし嵯峨遺詔が反故にされた意味に注目し、当時のうらないの置かれた状況・印象を手掛かりに、「筮」と表記される陰陽寮占を探ることで、陰陽道の成立要因を考察した。
 質疑応答では、大陸伝来の諸要素を基盤に成立した陰陽道や史書に引用される漢籍を扱っているのであれば、中国でそれらがどのように考えられていたのかというアプローチも必要ではないかとの指摘や、「陰陽道の成立」や「うらない」などの定義付けの説明などが求められた。
 今後の課題・展望では、嵯峨遺詔の解釈の多くを先行研究に頼っているが、そもそもその認識が適切なのかという点があり、それらを批判的に検討するとともに、視野を拡げて「国風化」という、対象時期の政治状況を考慮に入れることで、選択される側である陰陽道自体だけでなく、選択する側の政治的社会的背景を含めた、陰陽道の成立要因を考察していきたいとのことであった。


○酒井駿多(大澤ゼミ)

「両漢交代期における地方豪族の影響力」

 酒井駿多氏の卒業論文では、漢代豪族論に関する先行研究を整理した結果、豪族研究の発展にはより細かい時代区分と地域比較が必要だと考察したため、今回のようなテーマを設定した。具体的には、赤眉の乱から約二十年の間に各地で成立した諸勢力と地方豪族の関係を見ていくことで、地域ごとにどのような差が表れるかということを分析する手法をとる。その結果、以下の二点の結論に至った。第一に、農民叛乱や災害の被害が大きい地域の豪族ほど、大きな軍事力を持った勢力を積極的に求める傾向にあるということ。第二に、河北淮北などの東部の豪族に比べ、隴西や蜀などの西部の豪族たちのほうが、支配集団に対する影響力が大きいということである。地域ごとに影響力に差が出た要因としては農民叛乱の被害や異民族との関係などを挙げた。
 質疑応答では豪族という存在をどのように定義づけるかという点について質問が出た。今回の論文では広く大土地経営を行っている存在や、広い範囲で族的結合が確認できる存在などを豪族として定義した。しかし、いわゆる大商人などの経済的に大きな影響を与え得る存在についても、在地性と絡めてもう少し深めてみることは地域社会を知るうえで重要なことであると言える。その点は正史以外の史料を積極的に利用することで新たな視点を開きたい。