2019/06/11

2019年5月月例会要旨

2019年5月11日(土)上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。


黒嶋敏 「南西諸島の絵図と『航海図』」

 本報告は、東京大学史料編纂所・画像史料解析センター准教授の黒嶋敏氏が代表として行っている共同研究、「南西諸島における海上交通の復元的研究―「帆船の時代」の「歴史航海図」―」の中間報告として発表された。「歴史航海図」とは、航海に関する情報を持つ前近代の画像史料のことを指し、それを収集・検討することで、性質の異なる絵図を海上交通の視点から串刺しにし、特質を考えていくことが目指されている。本報告の具体的な内容は、「関連する絵図の紹介」、「後世の絵図から、15世紀以前に遡りうる、南西諸島の海上交通を考える手がかりを探る」ことになっていた。
 まず、南西諸島の「歴史航海図」を①から⑩に分類している。それらは、①博多商人系、②中国系、③朝鮮系、④南蛮系、⑤国絵図系、⑥諸島図系、⑦薩摩商人系、⑧間切図系、⑨林子平系、⑩近代海図系、となっている。これらの絵図は、単独で成立したわけではなく互いに影響を及ぼし合いながら成立したことが指摘され、それらを解き明かしていくことが課題の一つとして提示された。
 さらに、「元禄国絵図琉球国沖縄島」などの具体的な絵図が紹介されるなかで、南西諸島の「歴史航海図」が持つ時期的な特徴として、15世紀の琉球王国の中継貿易、16世紀後期から17世紀初期の南シナ海貿易等「グローバル化の波が直接に影響」している点、さらに、1630年代の鎖国政策の展開の中で八重山に相次いで南蛮船が漂着し、異国船遠見番所や烽火台が作られるなど「17世紀前期には保護主義の最前線に」立たされ、幕府・薩摩藩が現地調査をもとに詳細な絵図を作成した点を指摘している。これらの背景のもと個々の「歴史航海図」は、史料的性格に大きな相違が生まれており、詳細な国絵図に軸足を置きつつ、15世紀以前に遡及する情報をいかに抽出していくのかが課題になっていくことが示された。
 「歴史航海図」を含む近代の画像史料は、文献の数が絶対的に不足している南西諸島において15世紀以前の様相を考える際の大きな手掛かりになるといえ、また、国絵図やその他の文字史料を相対化することを可能にする。さらに、この研究は周辺地域との関係性を考える「グローバルヒストリー」の視点からしても非常に示唆に富む研究だといえるだろう。
 さて、質疑応答の際には、絵図作成において潮の満ち引き、風、海流など多くの要因がどのように影響を与えていたのかという問題もさることながら、震災とこれら絵図との連関、環境史との関係など、他領域における展望についても意見が交わされた。本報告を通し、多くの研究領域と相互に交わりながらさらなる研究の深化がなされていくことを予感させるものとなったのではないだろうか。


堅田智子「和独会における日本法学者の交流−穂積陳重『祖先祭祀ト日本法律』の出版を巡って−」

 流通科学大学で講師を務める堅田智子氏は、近代日本における⻄洋法学の受容、とりわけドイツ法学が日本にどのように受容されたかという問題を、「日本最初の法学者」である穂積陳重とベルリンの日独交流団体「和独会」との関係から明らかにすることを試みた。なお、本報告は、科研費 研究活動スタート支援「『独日関係の⻩金時代』における日独交流組織『和独会』の活動実態に関する研究」(平成 29 年度〜平成 30 年度)および大学共同利用機関法人人間文化研究機構のネットワーク型基幹研究プロジェクト「ヨーロッパにおける 19世紀日本関連在外資料調査研究・活用‒日本文化発信にむけた国際連携モデルの構築」の成果の一部である。
 氏はまず、「日本におけるドイツ法学の受容」に関する先行研究を整理し、この問題の検討が、法制史の分野では不十分であることを指摘した。氏はドイツ留学の経験がある穂積陳重と、ドイツに滞在する日本人とドイツ人の相互交流を目的に設立された和独会との交流に着目し、穂積の『祖先祭祀ト日本法律』(以下『祖先祭祀』)とその出版経緯からこの問題へのアプローチを試みた。
 『祖先祭祀』は日本の法制度を伝統的な祖先祭祀の観点から説明するものである。1899年にローマで開催された第 12 回国際東洋学者会議では穂積自身による学術報告が行われた。この講演は熱烈に賞賛され、『祖先祭祀』として⻄欧諸国で翻訳出版された。先行究では1901年6月に出版されたAncestor-Worship and Japanese Lawが初版とされてきたが、和独会の中心メンバーが発行したドイツ語雑誌 Ost -Asien には、1900 年 2 月からすでに、国際東洋学者会議の学術報告のドイツ語翻訳が連載という形で掲載されており、翌年には単行本として出版された。それはパウル・ブルン(Paul Brunn)という和独会の中心人物によって独訳されたもので、英訳版に先立つ出版だった。出版に至る経緯はまだ明らかではないが、穂積と和独会、とりわけブルンとの関係が Ost-Asien への連載、および単行本出版の契機になったのではないか、氏は可能性を示した。
 英語版に先立つドイツ語版の連載、そして独訳単行本の出版をどのように位置付け、評価していくか、氏は今後の研究課題を示し、「和独会の活動は多岐に渡り、鮮明に把握することは困難であるが、彼らの活動が、相互執筆活動、ひいてはドイツ法学を日本が受容するひとつの大きな契機になったのではないか。」との展望を述べた。
 質疑応答では、和独会が発行した2つの機関紙の性格の違いや、穂積と和独会との交流についての質問がされた。穂積の『祖先祭祀』の内容に関する議論もなされ、盛況のうちに報告会は幕を下ろした。