2016/11/21

2016年度10月例会

 2016年10月29日(土)、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。
 報告は、東京大学大学院人文社会系研究科准教授である長井伸仁氏による、
「上智大学の学徒出陣―その歴史と記憶―」、
上智大学国際教養学部名誉教授であるケイト・ワイルドマン・ナカイ氏による、
「戦前日本史のなかの上智大学―カトリック系大学の道のりはなにを語るか―」でした。






 長井氏は、「上智大学の学徒出陣—その歴史と記憶—」と題した報告を行った。
 1943年10月2日の「在学徴集延期臨時特例」によって、大学学生および高等学校・専門学校生徒は、それまでの徴集猶予措置を停止されて入隊するが、上智大学の学徒出陣や、大戦中の上智大学については未知の部分が大きい。
 『上智大学史資料集』(1980~93年)、創立50・75・100周年記念誌、いずれも学徒出陣についての記載はごくわずかである。
しかし、ソフィア会による調査で戦没者33名が特定されていたことが助けとなり、学籍簿や各種学生名簿、卒業証書授与簿などをもとに、当時の状況を明らかにするべく調査を試みた。
  
昭和18年度の在籍生は936名であったが、大学による公式の数値では昭和20年1月の時点で
429名が在籍しつつ「応召及び入営」と記録されている。
今回の調査では756名の出征を確認し、学部・学科や陸海軍の別、信仰についても言及した。
戦没者の割合は約9%であったこと、また戦後の復学者は391名、退学者は25名であったことや、戦時中の大学で挙行された式典等が報告された。
 1990年代以降、このような調査は大規模大学を中心におこなわれているが、上智大学では史料が多いにも関わらず、これまで研究されてこなかった。
その背景として、大学が学徒出陣にほとんど関心を寄せず、各種行事において等閑視してきたことが指摘できると結論した。

 質疑応答では、戦争の記憶を伝える元特攻隊員に、歴史学のメソッドを持ってアプローチするには残された時間は少ないという意見や、学徒出陣の調査を大学がする必要性の是非、
出征後に学生が置かれる立場の認識について等、様々な研究分野からの質疑が多くなされた。
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 ナカイ氏は戦前の大学史において、カトリック系大学であった上智大学がどのような経緯を辿ったかに関しての報告を行った。
 まず氏は、上智大学の戦前史を概観するにあたっての研究状況を明らかにし、
そこでは、上智大学についてドイツ語やラテン語で書かれている史料が多いこと、
またプロテスタント系の他大学と比較して研究が少ないことなどが問題として挙げられた。
 その上で、『上智大学史資料集』や大学史料室に保存されている書類などを使用し、
上智大学の創立の背景から戦時中までの状況を説明して分析した。

本報告では戦前高等教育の中での上智大学の位置と、国家と宗教の問題の二点からのアプローチに重きを置いている。
前者については、大学側が政府の高等教育への制度変更に応じて対応していたこと、
学生確保のため商学科を設置したことなどから、その時々の時勢に合わせて上智大学が現実的に動いていたということがうかがえるとした。
後者については、政府の宗教と教育の分割原則に沿って、戦前は大学として公にはキリスト教教育を廃し、学術的姿勢のみを表したこと、
それが後においてカトリシズムを全面に打ち出したものに変化したことが指摘された。
 また大学が戦時の神社参拝などを、宗教行為でなく世俗的儀礼として解釈するようになった事件の多義的な意味について言及した。

 質疑応答では、大学敷地内に開かれた聖堂を作ろうとする動きがあったのか、
政府との妥協的態度は仕方なく示されたものだったのかなどについて、
さらにイエズス会の行動の理由などに関しても活発に議論が交わされた。