2013/07/17

2013年度6月例会開催

  2013629()、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。報告は、流通経済大学社会学部教授の関哲行氏による「17世紀初頭のリマにおける日本人移民ないし奴隷―1613年のリマの住民台帳を手がかりに―」でした。

 
  関氏の報告では、17世紀初頭、スペイン植民地(ペルー副王領)であったリマで作成された住民台帳や、スペイン領フィリピンの首都マニラに築かれた日本人町が取り上げられ、日本人移民や奴隷について指摘がなされた。
  当時のスペインは、その植民地を狙うイギリス、オランダに対する防衛上、植民地経営の再構築を迫られており、リマの住民台帳は、植民地の人的物的資源把握のために作成されたものである。台帳には、身分、名前、性別、年齢、職業、出身地、滞在期間、家族構成が記されており、リマ在住の日本人について見ると、自ら渡海した自由移民や、奴隷として売られてきた強制移民の存在が読み取れ、豊臣秀吉による人身売買禁止令(1587)の背景の一端を窺わせるものとの見解が示された。
  マニラに築かれた日本人町については、1619年当時、約2000名の日本人が在住していたこと、これらの中には16121614年のキリシタン禁教令と追放令によって日本を追放された多数の日本人キリスト教徒が含まれていたことが説明された。また、日本人町にはヨーロッパのキリスト教社会と同様の「兄弟団」が結成され、スペイン王権や教会の統制の下、対抗宗教改革の一環として、民衆教化や社会的規律化の推進に寄与したこと、日本人キリスト教徒が、日本にいた当時から兄弟団に加入しており、マニラ経由でリマに渡った日本人移民も現地の兄弟団に加入した可能性が高いということが推論された。
  質疑応答では、奴隷の定義づけや、雇用形態から見た奴隷と奉公人との違い、奴隷の能力(特に言語面)や売買価格について質問がなされたほか、類似する分野の研究をしているという参加者からは、一定限度の衣食住を保障する奴隷制度について今日的視点で善悪を論じられないといった意見や、奴隷を所有することが一種のステータスになっていたという指摘がなされた。また、住民台帳を基に作成した一覧表に記された出身地名で類推困難としたものについて、推定される地名が参加者から提示され、発表者にとっても有益な情報となった。