2016/09/09

2016年度7月例会


201672日(土)、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。
報告は、上智大学大学院博士後期課程生であるHernandez Vazquez, Victor Manuel 氏による、「The project of a secular church in Japan. The Jesuit seminars 1580-1614」、上智大学史学科の卒業生であり一橋大学で特任講師をされている中村江里氏による、
「日本帝国陸軍における『戦争神経症』―アジア・太平洋戦争とトラウマをめぐる政治」でした。




 Victor氏の報告では、日本の平信徒向け教会に関する研究計画について、中でも1580年から1614年の日本のイエズス会のセミナリヨに関連して述べられた。

氏は、最初に日本におけるイエズス会史を概説した。
世紀には戦乱や豊臣秀吉のキリスト教迫害などの影響により、厳しい状況に置かれていたにも関わらず、イエズス会は日本人信者を増加させていった。
 イエズス会は1570年~1580年に平信徒向けの教会を作り、日本人司祭の育成計画を進めようとしていた。
拠点となるセミナリヨは日本に三か所作られ、最初に有馬、次に豊後、そして都(京都)である。計画の中心地は1570年に大村藩によって開港された長崎港であった。
藩主の大村純忠から許可を得、日本で最初の司教座が出来て、宣教の拠点となり、最大のキリシタン都市として迫害の際にはシェルターとしての役割も果たした。
 セミナリヨでの教育は、司教を頂点とした教区組織、教会裁判権を確立させたが、1614年~1617年にセミナリヨの解体や信徒の集団の解体が行われた。
禁教以降も信仰を続けていた人々はいたが、建物や文書は残っておらず、その文書が破棄されたという記録すら残っていない。また、イエズス会は報告書を毎年ローマに送っていたが、これに関しても禁教以降のものは残っていない。
 上記のような状況を踏まえて氏は平信徒向け教会の日本人司祭の育成の実態に関して迫ろうとしていると述べた。

 研究のアプローチとしては、
①宣教師や各地の司教、ポルトガル商人、イエズス会の報告書簡など幅広い史料を利用して、様々な立場の人々のセミナリヨや日本での宣教などに対する見方に注目する、
②特に17世紀初頭の状況に焦点を当て、日本で出版されたキリスト教教義を扱った書物をもとにセミナリヨではどのような教育が行われていたのか、戦や迫害の中でのセミナリヨの役割は何だったのかを解明する、
③特例である長崎の他、都や有馬なども含めて地域ごとの教育戦略の比較を行う、
3点が挙げられた。

 質疑応答ではカヴラルとヴァリニャーノの2人の宣教師の日本に対する見方の違いに関する質疑や、研究の方向性をさらに明確化していくための指摘がなされ、議論がなされた。

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中村氏は自身の博士論文をもとにした、「
日本帝国陸軍と「戦争神経症」アジア・太平洋戦争とトラウマをめぐる政治
という題目の報告を行った。
学部時代から関心があったこと、欧米と比べ日本の研究はまだ少ないこと、
以上の二点より研究を進めるに至った。

 博士論文において中村氏は、
時中から戦後にかけての、(元)兵士の精神疾患を取り巻く言説や構造と実態を明らかにし、戦争と精神疾患あるいは心的外傷に関する集合的記憶の不在につながる
歴史的背景」について考察し、本報告においては主に各章の概要に沿う形の報告であっ
た。

  第1章では、日本における軍事心理学の分類について分析し、その中で対象となった者について第2章以降述べられた。
 第2章では特に戦時中の精神神経症がどのように位置付けられていたのか・その特徴について、第3章は一般の患者とは区別された傷痍軍人の中で、精神神経疾患患者の職業保護等はほとんど行われなかったことなど、傷痍軍人の中でも精神神経疾患患者と身体の傷を負った患者との区別について述べられた。

 第4章では内地還送された患者、戦場において精神疾患を発症した兵士について分析を行い、第5章においては新発田陸軍病院を一つの事例として、その病床日誌の詳細な分析をもとに、より具体的な精神神経疾患患者の姿について述べられた。
 第6章の前には補論が設けられ、「ヒステリー」と日本軍兵士の「男らしさ」の関係について述べ、続く第6章においては精神疾患患者の恩給について述べた。
 第7章では主に終戦後の患者について注目し、戦中の入院体験を恥と考え、黙秘することや、家族との関係について述べられた。

 最後に本論文の意義として、「医療アーカイブズを利用した精神疾患患者の実態解明」と「「戦争神経症」を様々な時空間で考察したこと」が挙げられた。

  質疑応答では主に教員を中心に、戦地や年齢の差異や、患者の全体的な総数、
非戦闘員や職業別の発症率や用語の定義など、様々な質問がなされた。