2013/05/31

2013年度5月例会開催

 2013525日(土)、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。報告は、上智大学大学院に所属しております杉浦廣子氏による「唐開元令瑞兆細目に見る南北朝瑞兆文化の影響」、本学教授である井上茂子氏による「歴史学の研究成果と一般の歴史認識とのずれについて-ドイツ現代史の事例から-」でした。

 


 中国の歴代王朝には政治など人の動きと自然の動きを関連づける天人相関思想があり、失政の応・災異と徳政の応・瑞兆は政治や歴史記録の作成上特に重視された。しかし漢代に陰陽五行説に基づく災異説が完成するのに対して、瑞兆を巡る解釈や記録整理の方法は長らくあまり整理されることがなかった。
 唐・開元年間に制定された令には瑞兆の報告について定めた規定があり、何を対象とするかの細目も附されていた。唐の律令制は後代各種制度を整備する際の規範となっており、瑞兆関連規定も例外ではなかったと考えられる。
 本報告ではこの細目を中心に検討を行い、先行する『宋書』符瑞志とかなりの共通性が見られる事を指摘した。南朝宋は瑞兆を異常に重視し、旧来災異とされていたものを瑞兆に転換するなど、天人相関の捉え方に大きな変化のあった時代である。
 唐律令で瑞兆に関する規定を盛り込んだのは報告に制限を掛けるためと考えられるが、南朝宋の影響を受けた規定ではその目的を果たすのは困難だったのではないか。実際の瑞兆記録にも、細目に該当しない内容や災異とすべきものに理由を付けて瑞兆とする例が見られる。北宋の一時期見られる瑞兆重視気運もこの延長線上にあるのではないだろうか、というのが今後の展望である。
 天人相関思想は前近代中国思想の基礎であるため、出席者からは個別事項を見る・政治史上の流れを見るなど研究がかなり多方向に広げ得ること、そのため先行研究に対する研究の位置づけをより明確にすべきことなどが特に指摘として挙げられた。

 
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 井上氏の報告では、第二次世界大戦後のドイツにおける歴史教育、ナチス研究の流れを概観した上で、ドイツ社会において現在進行形で生じている、一般の歴史認識と歴史研究との差異について指摘がなされた。現代ドイツ社会では、ホロコースト問題を筆頭に学校教育の中でナチス時代に割かれる時間は大きく、またマスメディアを通じた知識の啓蒙や、議論の機会も数多く提供されている。しかしながら戦後60年以上が経過した今、戦後になってドイツに移民した人々を親に持つドイツ人らにおける、ナチスへのリアリティの薄れが問題となり、さらにはナチス時代に偏重し過ぎた学校カリキュラムに対して辟易する声も聞かれるという。また80年代以降、学校教育上でも歴史学における「普通のドイツ人とナチス」研究の進展を反映した試みがなされているにもかかわらず、絶対悪として社会的合意がなされているナチスと身近な家族との関係性や、国防軍によるホロコーストへの関与については未だ反発が多い実情が示された。こうした中で、ドイツと同じく過去の克服に問題を抱える、日本の歴史問題との類似性も併せて提起されることとなった。

  質疑応答では、個々人とナチスとの関係にシフトしていく研究史上の流れは、かえってナチス全体の構造究明から遠ざかっているのでは、という指摘がなされたほか、ナチスとはドイツ一国の問題ではなく当時の世界史的構造に基づいて理解されるべきではないか、さらにはナチスの存在に囚われないドイツ近現代史は不可能なのか、といった意見も聞かれた。また歴史認識を巡る問題が世間を騒がせている昨今の時勢もあってか、より個別事例に踏み込んでの活発な議論が交わされた。

 

2013/05/10

2013年度前期院生総会・卒業論文発表会


 2013年度前期院生総会ならびに卒業論文発表会が4月20日に開催されました。新たに院生会へ加入した6名の新入生による熱のこもった発表が行われましたので、以下、発表者氏名と所属ゼミ、並びに卒論の題目と報告内容を発表の順に紹介いたします。
 
 
○西村典之(児嶋ゼミ)
 
「ウィンチェスター・カレッジの設立から見る十四世紀後半の社会の変化」

 西村氏は今回、十四世紀後半につくられたウィンチェスター・カレッジ(以下、W.Colと略記)について、(1)設立当時のW.Colと現代のパブリックスクールとの連続性がどのような点で見受けられるか、(2)W.Colの設立者ウィリアム・オブ・ウィカムについて官僚の俗人化という流れの中における位置づけ、という二点をテーマにした自身の卒業論文についての発表を行った。西村氏は、(1)の点に関してはW.Colの設立証書と定款を用いて、現代のパブリックスクールとの連続性を見出そうと試みた。(2)の点に関しては、官僚の俗人化という十四世紀後半からの大きな流れの中で、新しいウィカム像を見出すことを試みた。
 質疑応答では、自身の問題意識と先行研究の相異をはっきりさせ、自身の見解をより鮮明に打ち出した方が良いとの指摘があった。西村氏自身も論文作成の段階から、その点についてクリアできていなかったとの反省があったとのことで、その点に関して今後の課題にしたいと話している。
 
○新飼早樹子(北條ゼミ)
 
「対外関係史における「はた」の有意義性―『日本書紀』天武天皇八年冬十月甲子条、天武天皇十年十月乙酉条を中心に―」
 新飼早樹子氏は『日本書紀』天武天皇貢物記事を中心史料とし、別献物として齎された「はた」の表記及び「はた」を贈ることの対外的意味に注目し、その上で唐の動向も視野に入れ、7世紀末の日羅関係を考察している。
 質疑応答では、「はた」を対象としている以上、サイズ、材質などのモノとしてのアプローチも可能ではないかとの指摘や、中心史料上での「旗」と「幡」の定義付けの説明などが求められた。また、本論前半の対外関係史の問題点と後半部の「はた」の問題をどう結び付け、今後どのように広げていくのか、という課題が示された。これらの点は、報告者が課題としている「個別研究からの脱却」という点と深く関連しており、改めて今後の課題を見つめなおす議論であったと考えられる。

○岡安未来(北條ゼミ)
 
「現象としての『病』と語られた『不可視』―天平九年の事例を中心に―」
 
岡安氏が卒論で扱ったのは「病」という現象についてである。
個の事物、あるいは個体として想定してしまいがちな「病」というものを、あくまで人間の文化的活動によって引き起こされた「現象」の一環として把握するというスタンスを貫いた。これは「病と歴史」や「医学と歴史」にまつわる先行研究を概観して、報告者が特に違和感を覚えていた点であり、報告者の考え方の独自性というものの一角になった。
 天平九年(西暦737年)に見られた「病」という 現象が、どのように後代の世界へ作用したのかという事について、医学や科学といった領域の書物及び木簡などからの叙述を読むことなどを通して考察を行ったが、単なる突発的な発想の羅列に終始してしまった。しかし「病」を一つの現象として把握した時に、どのような形で後代の世界や歴史の中にその価値を見出すことが可能になるのかという一つのサジェストとして、ある意味では有意義だったのではないだろうか。
 質疑応答では、病の流行地域を示す「天下」という単語の適用範囲と、当時の想定されうる世界の領域についての質問が出た。史書編纂の中心地である畿内地域から、流行の端を発した太宰府という地域までの距離や、その他に出てくる地名などから、当時の「天下」はかなり漠然とした「広範な地域」としての領域を示すのみであり、明確な定義は有さないという結論を出したが、この問題は奈良時代の朝廷の支配領域の検討に於ける重要な問いであることは明らかである。また、現代で指すところの「医学」と「呪術」とされる知識を混同することに問題は無いのかとの指摘についても、当時の科学理論に於いて両者は共通した理論の基に成立していることから問題はないとの回答がなされた。
 他専攻からの質問は非常に新鮮であり、また新たな課題を報告者に提供する良い機会となったのではないか。
 
○石川柊(児嶋ゼミ)
 
「デンマーク王スヴェン・エストリズゼンのキリスト教政策―『北海帝国』崩壊後のデンマーク王権と教会をめぐる対外関係の考察」
 
 石川柊氏の卒業論文は、十一世紀後半のデンマークを対象にしたものである。具体的には同地域の教会をめぐる諸権力の対立について、その対立がどのように、いかなる背景によって展開したかを分析する。
 報告では、氏の専攻についてから始まり、テーマ設定の背景、論文概要、得られた結論を経て、これからの課題で締めくくられた。
 執筆の段階では、言語上の問題から史料へのアプローチが十分でなかったなどの反省がある一方、従来の研究を比較検討し、その上で権力者の「社会的立場の変遷」という観点から権力関係の移り変わりを確認したことは、今回の論文にとってひとつのアイデンティティとなっている。
 質疑応答では、なじみの薄い分野ということもあり、中世スカンディナヴィアの根底をなす部分への質問が寄せられた。さまざまな分野の研究者が集まる場において、何を説明し、何を省いて「報告」とするかは、とりわけ学際性の重要さが要求される昨今の学会において、非常に重要な問題である。その点においても、氏にとって今回の発表会は意義あるものとなっただろう。
 
○長谷川純子(児嶋ゼミ)
 
「ベネディクトの『戒律』と修道院文化」
 
 本報告はベネディクト会の修道院規則である「戒律」に注目し、そこから修道院文化とは何であったかということを考察したものである。報告では「戒律」のテクストやその構成要素を確認しながら、修道院の生活形態における隣人愛と労働の関係について説明した。また、「戒律」前後のアウグスティヌスやバシレイオス、クリュニー修道会、シトー会などの原典と「戒律」とを比較し、修道院生活の労働観の変遷も論じた。
 質疑応答では、修道院規則同士の対比があればよいという指摘や、専門分野外の人にもわかるように、時代・地域の最低限の史資料の添付が必要であったという意見があがった。また先行研究への分析を深めることで、自身の研究をより掘り下げられるという技術的な指導もあった。
 
○中西由美(川村ゼミ)
 
「キリシタンにとってのサンタ・マリア」
 
 本報告は、2001年度上智大学神学部神学科の卒業論文要旨である。報告ではキリシタン史について、迫害・潜伏期のキリシタンが信仰を維持していくうえで、聖母マリアへの信仰が大きく影響を与えていると推測し、その側面からキリシタン史への一考察を加えた。はじめに、宣教師の信仰を育んだヨーロッパにおけるマリア信心と、宣教師書簡から読み取れる宣教師が抱いたマリア信仰の実態について考察し、続いてキリシタン版『ドリチナ・キリシタン』や『スピリツアル修行』、また信徒組織である「サンタ・マリアの組」を通して、宣教師がキリシタンに伝えたマリア像を推察した。さらに、宣教師追放後のキリシタンが自ら生み出した「マリア観音」を例に挙げ、キリシタンにとってのマリアの存在意義を明らかにしようと試みた。
 質疑応答では、宣教師があえてマリア信心を伝えようとしたのか、もしくはキリシタンが自発的にマリア信心を抱くようになったのかという点について、より明らかに論じられるとなおよかったという指摘があった。