2018/07/21

2018年度卒業論文報告

 本年度、上智大学大学院文学研究科史学専攻は新たに3名の新入生を迎え入れました。3名の氏名と専攻をご紹介します。日本中世史専攻の杉浦鈴さんと、日本古代史専攻の白山友里恵さんと、西洋中世史専攻の岩田園さんです。
 今回は、新入生一人一人の卒業論文の要旨を以下に記したいと思います。これらの要旨は、先日行なわれました卒論報告での発表をベースに作成されています。一人一人の思いや入念な分析が凝縮されていますので、ご覧下さい。杉浦さんは「中世の人身売買」、白山さんは「古代における病の原因となる虫」、岩田さんは「宗教改革」をそれぞれ独自の視点で研究しています。





杉浦鈴「動産としての身体」

 本論文は、身分転落を伴う人身売買(以下、零落型人身売買と称する)を法規制・実態の両側面から考察し、中世の身体の価値の揺らぎを明らかにするものである。
 問題意識の出発点は現代における身体の差別的扱いに対する怒りにある。性や出自など身体のスティグマを理由にした不当な差別に抵抗するため、現在あたかも固定の観念であるかのように語られる身体の価値・意味を相対化したい。研究史上の意義としては、磯貝富士男氏の研究を批判し前に進めること、60年代に発表された牧英正氏の人身売買法制通史叙述をアップデートすることを目指した。
 第一章「容認・禁遏・矛盾」では、鎌倉時代に発布された人身売買関連法を為政者ごとに整理し、発布の社会状況を考察した。鎌倉時代、零落型人身売買史上における転換点は二度ある。一度目は、泰時期に寛喜の飢饉を背景として零落型人身売買が一時容認されたこと。二度目は、時頼期に起きた人身の質入れをめぐる法の上の矛盾と、その後に生じた正嘉の飢饉による「撫民の破綻」である。社会と法の発布を連動させて見つめ、「撫民」思想のもとで行われた非常事態に対する経済政策の変容を指摘する。
 第二章「人身売買合法化」では、鎌倉時代中期に零落型人身売買が合法化されたとする磯貝富士男の説を一歩進め、前章で指摘した二度目の転換点である正嘉の飢饉によって生命の危機が撫民思想を上回り、零落型人身売買が合法化されたことを解明する。小山靖憲が紹介したが従来正確な分析が行われてこなかった人身売買史料「徳童売券」を改めて読み込むことで、担保文言「餓身相伝」の意味を解き、中世人が零落型人身売買をいかに捉え、いかに行ってきたか分析を加えた。
 さらに、付論として二つの章を付す。付論一章は「零落型人身売買文書の紹介」として、人身売買関連法が一度も発布されなかった室町時代の人身売買の実態を考える。
 付論二章では「一六世紀の動乱」と銘打って、戦国期以降の「乱取り」と言われる人間狩りとその輸出、人間貿易への宣教師の関与について、宣教師側の史料を取り上げて叙述する。
 以上のように、「今日を生き延びる」ことすら困難であった中世の切実な生の前に「兌換の財産」となった中世の身体の実態を明らかにする内容である。



白山友里恵「『医心方』における病を引き起こす虫」

 私の卒業論文は「『医心方』における病を引き起こす虫」を題とし、病と虫の関係を検討したものである。疾病観念としての「虫」は、最近になって研究が進んだものの、それは「腹の虫」などの病の原因としての虫が一般庶民まで認知された江戸時代を中心としたものであった。
 そこで本論では、平安時代に編纂された『医心方』を主要史料とし、そこに現れる、実際に存在する虫や人々の観念の中での虫など、様々な「虫」に注目した。そして、人々が病の原因の一つとして虫をどう考えていたのかについて考察を行った。さらに、その過程の中で見られた特徴の一つである移動する存在としての虫に着目し、戦国時代において『針聞書』などの書物に姿を現すようになる積という病と虫の関係について検討を加えた。また、『医心方』という書物が日本で編纂されたものではあるが、そのほとんどは中国の書物の引用であり、そこで得られた考察をそのまま平安時代に適応できないという問題点から、『医心方』が編纂された平安時代の貴族の一人である藤原実資を取り上げた。彼の日記『小右記』には、実資が、虫が原因とされた病の一つである寸白にかかった記録や、他人の病を寸白として記録しているものがあり、それらをもとにして実資が寸白をどう認識していて、それが『医心方』と比べてどのような点で異なるのか考えた。
 結論として、『医心方』全体の15%に虫に関係する引用が見られたが、その中で最も多かったものが薬としての虫であった。しかし、病因となる虫も多く、薬としての虫の半分ほどの数になった。その特徴としては、移動する存在であること、瘡と結びつくことが多いこと、痒みと結びつき安いこと、食べ物などの何かを媒介にして身体の中に入ってくる例が多いという四点を指摘した。しかし、これらの『医心方』における虫像が実際の病にどこまで影響を与えたのかは、実資の検討を通しても、はっきりとはしなかった。その為、平安時代における病因としての虫の実像がどんなものであったのかが今後の課題として挙げられる。



岩田園「ギヨーム・ファレルと檄文事件-フランス語圏宗教改革の転機-」

 日本の宗教教改革史研究において、ジャン・カルヴァンがフランス語圏を代表する改革者として中心的に研究されてきた。カルヴァンの先駆者にあたるギヨーム・ファレルは、フランス宗教改革の最初期に活動した人物であり、フランス語圏スイスの宗教改革思想の伝播を主導した人物だが、日本では彼に関する研究は少ないのが現状である。
 本報告ではファレルの行動と思想を分析し、フランス語圏における宗教改革初期の様相を描き出し、その中でファレルの関与した檄文事件がどのような影響を及ぼしたかを考察した。
第1章では当時のフランスにおける教会改革の起こりについて確認し、第2章ではファレルの略歴とフランス語圏スイスにおける活動を確認し、主著『キリスト者が神を信じ、隣人を助けるために必要不可欠な体系の略式の表明』(1534年)からその思想を分析した。第3章では檄文事件とそれに対する反応を確認し、使用された二つの文書のうちアントワーヌ・マルクールの著した『唯一の仲介者であり唯一の救い主、イエス・キリストの聖餐に反して、まったく作りものである教皇のミサの、恐ろしい、重大かつ重要な悪弊についての真実の諸箇条』を分析し、ファレルの思想との共通点を指摘した。ファレルはヌシャテルという都市を拠点に改革者や印刷者を招聘し、この事件においても中心的な役割を果たしていたことが分かった。
 結論として、檄文事件は宗教改革にとって教派間の対立を固定化する契機となった。また、この事件は宗教間・教派間の対話が進む現代において排除されがちな一致や和解を求めない人々とどのように向き合うかという、真の平和的共生のための極めて重要な問いを我々に投げかけている。
 研究を進める中で宗教改革史研究における地理的視点の重要さに気づき、ファレルの移動に注目して分析した。研究対象範囲をフランス・スイスではなく「フランス語圏」としたのは、当時のスイスに一国としてのまとまりがなかったこと、改革者たちは布教の上で会話する言語を重視したことから、言語圏の境界に基づくのが適当と判断したためである。ただこの視点を生かしきれず、フランスに関する記述に比べてスイス諸都市に関する考察が薄くなってしまったこと、越境的な記述ができなかったことは反省点である。今後の課題にしたい。