2017/07/30

2017年度5月例会



2017513日(土)、上智大学史学会・院生会合同月例会が開催されました。
報告は、上智大学大学院博士前期課程生である渡部敦寛氏による
「八世紀における諸王長官官司とその史的背景」、
本学教授である中澤克昭氏による「日本中世の肉食カースト」でした。






今回は先日行われた上智大学史学会合同月例会における渡部敦寛氏の発表内容の概要と、その発表後に行われた議論について記していく。
まずテーマは「奈良時代にあたる8世紀の王族・貴族の大規模な家の内部構造」であり、そこから日本古代史という文脈の中での王族・貴族の家政機関を解明し、その歴史的意義を考察することがねらいとされている。
家政機関というのは、宮廷を管理する役職や、貴族に食事を提供する機関、そして行事や祭事の補助をする部署などのことを指している。
一般的なイメージとして、奈良時代の貴族は位が高く、優雅な生活をする一方で、
政治を中心的につかさどる人々であると、一枚岩のように解されているが、その王族・貴族というカテゴリー内部にも序列が存在しており、大きな主従関係や力関係の差もあらわれていたのである。

また、渡部氏によれば、諸王の中には、有名である長屋王家のような大きなものも存在していたが、それと同時代には多数の小さな諸王も存在しており、後者の史資料も収集し分析することで新たな歴史像が見えてくるのである。
なおレジュメにおいては、豊富な史資料数やその分析、また記号を用いての分類などの分かりやすいものが提示されている。

渡部氏は六国史をはじめとするデータから、主に「任用・登用のされ方」や「職務の特質」から、官司や家政機関を以下の四種類にカテゴライズしている。
「際立って諸王が補任されている役職・官司、すなわち世襲など特色ある人事がなされているもの」・「8世紀段階において諸王が補任されている官司」・「四等官クラスにしばしば技術保有者が含まれているか、特色ある人事がなされている機関」・「判断材料が充分でない官職」
といった四種である。
代表的な職務について述べると、前二種の中には「王族の名簿を管理するもの」や「鍛冶」や「雅楽」、「造営」といったものが含まれている一方で、後二種の中には「織物をするもの」や「土木や造園関係に携わるもの」や「造酒」、「医療技術を有する学者」、「宮廷の清掃を担当するもの」、「喪儀に携わるもの」が挙げられている。

以上のカテゴライズにより、渡部氏は、後二種の機関は「物的な充足を満たすことを目的とするごく小さな役所」であると分析し、権力関係・序列は前二種と後二種で大きく分かれていたと結論づけている。

 発表後の質疑応答では、「そもそも八世紀とタイトルづけた理由は何か?」と、
「本研究は定説の補完なのか。それとも再考をせまっているのか」
といった二つの点が挙げられた。
渡部氏は、まず前者に関して、9世紀になると任命されないポストもあるというメッセージを伝えるという点がねらいであると答えていた。
また、後者に関して「今現状は考え中であり、今後決定していく」と語っていた。
後者に対して「研究における自分の立ち位置や目的に関して、明確解析的なビジョンをもつことが望ましい」という指摘があった。






 中澤氏の報告では、まずこれまでの研究を概観した。
肉食の禁忌は巷間いわれるような仏教の影響でなく、神祇的肉食禁忌に発生の母胎があること。9世紀中葉から穢れ観念が肥大化し、獣肉食も穢れとして忌避されるようになったこと、
仏教の影響で牛馬を人間の生まれ変わりとする考え方が広まり、奈良時代までの牛馬食の伝統が途絶えたこと、
寺院内部の生活規則であった戒律が、外部にも適用されるようになったが、殺生・加工の場とその成果を消費する場が分離したため、前者を担う人々を「罪業」や「穢れ」と結び付け、差別するようになったこと、神仏習合の発達により、精進神が成立したこと、親王将軍宗尊親王を介して、獣肉穢れ観が東国にまで広がったとみられること。これらが、この報告の前提として確認された。

 この報告の視座として、以下の点が述べられた。
 肉食は中世の身分に対応し、魚貝を中心として、わずかに野鳥を食す天皇・公卿・殿上人、魚貝・野鳥のみならず、鹿・猪をも食す諸大夫・侍、さらに肉食忌避が薄弱だったと考えられる百姓・凡下と下人・所従という差異があった。
 こうした階層差は、貴族は善行を積んで往生できるが、「悪行」である殺生・肉食をする人々は地獄に堕ちるという考え方と結び付いている。
 肉食については、「抜け道」として「薬食い」とか「鹿食免」があり、実際には広く肉食が行なわれていたことが指摘されてきた。
しかし、身分・階層によって葛藤に差異があったことを見のがせない。

 また、殺生や肉食を正当化する「殺生・肉食善根(功徳)論」は、殺生を生業として行なわなければならない人々を救済する論理とされる。
しかし、当初そうした正当化の論理を求めたのは、殺生や肉食を忌避する貴族や上層の侍であり、後世、それが百姓・凡下にも流布したとみるべきである、といった見方が示された。

活発な質疑が行なわれ、「肉食=豪華な食事を食べない、という価値はいつ転換したのか」、ヨーロッパとの比較から「健全な肉体を維持するために肉食を是としなかったのか」、
「食用畜産が日本からなくなるのはいつか」、
「殺生をせざるを得ない下人・所従は、地獄・極楽という概念が広まるなか、
精神的に本当に救済されたのか」、
「都での世情不安の時代と殺生禁断との関係は」、「インドでバラモン教のアンチテーゼとして発達した仏教は当初から肉食禁忌でなかったのか」などの質問・意見がかわされた。



















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